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学ぶ主体

 「自己啓発」という熟語に使われる「啓発」は、中国の古典にある『論語』の
「憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず」に由来するといわれています。

 「憤す」とは、知ることができずに煩悶すること。「啓す」は説明してわかるようにしてやること。また「悱す」は、心でわかっていても口で表現できないこと、
「発す」は、十分に言い表すすことができるように教えてやることです。

 つまり「啓発」とは、物事を深く理解しようともだえ苦しみ、どう表現すればよいか散々苦しんだ者でなければ教えることができない、という意味になります。

 充実した気力と情熱がなければ、何事も進歩はなく、苦しみ悩んだ後でなければ上達はしないものです。

自分を高めようという心意気もなく、努力を放棄してしまっては、向上するのは難しいでしょう。

 ともすると私たちは、上達しない責任を「教え方が悪い」と、指導する者に転嫁しがちです。

しかし、あくまでも、「学びの主体は学ぶ側にある」というのが、「啓発」という言葉の本当の意味なのです。

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